山本大樹(My Hair is Bad) / 故郷での繋がりと、膨大なライブ・ツアーで培われた、生粋のバンドマンによるこれまでの道のり。

2019年3月7日

 
「IKEBEベースの日2018」スペシャルコンテンツ、山本大樹(My Hair is Bad)初のソロインタビュー!店頭配布中の特別冊子では途中までの収録だったインタビューの完全版を公開いたします!
 
新潟県上越市より全国へ。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで老若男女を問わずオーディエンスを巻き込み続けている3ピース・ロックバンド「My Hair is Bad(マイ・ヘア・イズ・バッド)」。

その中で、バンドを結成した高校時代から積み重ねたライブの本数に比例するように鍛え上げられた強靭なサウンドと、一度見たら忘れられない独創的なパフォーマンスで、男女問わず同年代のベーシストの憧れにもなっているのが、バヤの愛称で親しまれている山本大樹だ。

2018年にはデビュー5年目にして日本武道館公演2daysを大成功に納め、2019年開催予定のホールツアーでは横浜アリーナ公演2daysを控える中、初となるソロインタビューを実施。ロックバンドとして大躍進を続けていながらも、ひたすら音楽を楽しむバンドキッズのような姿勢と、進化を続けるマイヘア・サウンドに対する挑戦者の姿勢を紐解く、約2万字のロングインタビュー。

取材 / 立﨑隆宏(グランディベース東京 / 2018年10月)
 
 
 

先輩たちがゴイステをやってて、 そこで完全に「これしかない」って。



 
― 本日はよろしくお願いします!
 

山本大樹(以下バヤ):よろしくお願いします!
 

― 今回は機材面だけを掘り下げるというよりも、音楽への取り組みだったりを伺おうと思っております。まず、一番最初にグランディベース東京へ来るようになったきっかけなんですが・・・ライブの日にベースの調整で来ていただいたんでしたっけ?
 

バヤ:そうです。移転したあとなので今の店舗ですね。当時はライブが本当に多くて、結構弦を変えたりしてたんですが、激しいじゃないですかライブが。激しいというのは・・・個人的な踊りみたいな 笑。ぼく、ライブ中に弦を(よく)切ってて。スラップをそんなにしないのに。それはなぜかというのを確かめたすぎて、東京で行けるタイミングで楽器屋さんに見せに行って。ブリッジとか弦高とかも(原因で)あるかもしれないけど、弦の巻き方が良くないんじゃないかと思って、ちゃんとした巻き方を教えてもらおうと。リハ終わりか前かに、渋谷の乙-kinoto-でライブだったんで、歩いてそのまま行って、立崎さん(グランディベース東京・店長)にお願いして。「いいけどお金かかるよ」「大丈夫です」って言って 笑。それで当時使ってた弦を買って、その場で換えてもらったんだと思うんです。
 

― その後日にPAさんが来て、「My Hair is Badっていうバンド用の機材を試したい」って、Sadowskyのアンプとかを弾いていって。「今度本人に薦めます~」っていう感じで、そして改めて店に来ていただいて。ちゃんとしておいて良かった~「あの店員めちゃ感じ悪い」とか思われてなくて良かった 笑。
 

バヤ:「東京(の洗礼)だ~」みたいな 笑。
 

― ありがたい出会いですね。では、音楽の原体験、小さい頃に聴いたものでも、音楽をしっかり聴き始めた頃でもいいので掘り下げたいと思うのですが。
 

バヤ:中学の時にドハマりしたのは、銀杏(BOYZ)、ゴイステ(GOING STEADY)ですね。もう銀杏になってたんですけど。今27歳なんで・・・中学一年から三年までずっと聴いてましたね。体育祭の・・・そんなに大きい学校ではないんですけど3軍まで分かれてやるんですが、応援の時にダンスみたいなのがあって。それに当時流行っていた青パン(青春パンク)の曲がやたら使われてたんです。中学一年から三年までの間にどの軍かは絶対、銀杏、ゴイステ、太陽族とかの曲が使われてて。青パンがめっちゃ流行ってる中で音楽祭があったんですけど、三年の先輩たちが毎年ライブしてて、そこでまたゴイステをやってて。そこで完全に「これしかない」ってなったんだと思うんです。
 

― 中学校で、もうライブをやるバンドがあったんですね。
 

バヤ:そうなんですよ。(中学校だと)ほとんどが合唱だけだと思うんですけど、うちの学校は三年になると、体育、美術、音楽っていう選択肢があって。それで音楽授業の選択者だけ有志演奏ができるので、先輩がバンドをやってたんです。
 

― 中学校でその環境はいいですね。中学一~二年の時点では、まだ楽器はやっていないんですか?
 

バヤ:やってないですね。それで「おれも中三になったら楽器をやろう」ってなって。本当は選択(授業)で音楽を取らないとできなかったはずなんですけど、無理くり体育を取って、無理くり音楽をやらせてもらいましたね 笑。音楽の先生に「絶っっっ対やりたい!」ってねじこんでもらって。
 

― ちなみに、家族で楽器をやっていた方はいらっしゃるんですか?
 

バヤ:いないですね。あと、中三の時、ぼくはギター弾いてました。全く分からなかったんでジャンジャカしてましたね。
 

― それも地元の新潟県上越市でのことですか?
 

バヤ:そうですそうです。
 

― じゃあそれはラッキーだったんでしょうね。地方でも、地域や学校によって音楽が盛んな場所があるんですけど、まさにそのケースですね。
 

バヤ:そうですね。上越市だけが映るローカルテレビが取材に入ったりしてて。椎木(知仁)は別の学校だったんですけど、やまじゅん(山田淳)が同じ学校で、その時も一緒にやってたんですよ。ギターと、キーボードでベースしてました。もちろん買うお金も無いので 笑。おれは、知り合いからフェンダーのストラトを借りて、わけも分からず高っけえギター弾いて 笑。ドラムは学校にセットがあったんですけど、ベースは誰もいなかったんで、キーボードで(シンベを)やるしかないって。音楽の先生が弾き方を教えてくれて。
 

― 楽しい原体験ですね 笑。ベースを始めるのはいつですか?
 

バヤ:高校に入ってからですね。その時のバンドが6人で、ツインボーカルとギター2人と、やまじゅんとドラムで。同じ中学校の4人がその中の6人にいたんですけど、ボーカル、ギター、ギター、ドラム、となって 笑。「どうすんべ」「でもやろうよ」って。で、ドラム1人だけ野球部に入っちゃったんですけど、他の3人は軽音部に入ってバンドをやれる形には一応なってるから、「ベースやれば?」みたいな雰囲気がありつつ、「じゃあ、おれ(ベース)やるよ」って。
 

― ベースって二通りあるんですよね。真船勝博さん(EGO-WRAPPIN’ AND THE GOSSIP OF JAXX、FLOWER FLOWER)のように自分からベースを選択する人、もともと吹奏楽でユーフォニウムや低音系をやっていた人が始めるというパターンと、ギターが複数人いて(ポジション的に)変えるパターンのどちらかが多くて。
 

バヤ:しかも、それは中三の時に一緒にバンドやってたベースのコが、中三の終わりくらいに家に遊びに来る時にベースを持ってきたりしていて。それでちょっと触ったりしていたんで、嫌々ではなかったんです。
 


 

― パートが移ることに違和感は無かったんですね。高校の時に組んだのはどんなバンドだったんですか?
 

バヤ:結局、野球部に入ったドラムが忙しくて、一回もライブはできなかったんですよ。でも、高三の学祭ならできるんじゃないかっていう話になって。三年越しの思いを持って練習を頑張ったんですけど・・・苦笑。毎週のように一歳上の高校の先輩のライブに行ってて「ライブやりたいなー」って。それが4ピースのバンドで、リードギターが椎木だったんです。椎木とやまじゅんが同じ高校で、おれが進学校だったんですけど、高一か高二の時にギターボーカルの先輩が進学するから(バンドを)辞めるってなって、椎木も「ギターやってるけど、おれも歌を歌いたい。ギターボーカルやりたい」って言ってて。まぁ・・・おれが毎週のように遊びに行ってるわけじゃないですか。「暇そうにしてるじゃん、ベースやってるんでしょ」って、「じゃあ、やろうぜ」ってなって、ドラムを探すことになって。共通の知り合いってことで、「中学・高校の同級生のやまじゅんがいるじゃん、あいつ暇そうだぜ」みたいな 笑。
 

― その時点でもう「My Hair is Bad」ですね。
 

バヤ:そうですね。高二の時かな?やまじゅんは全くドラムに関して知らなかったんで、最初は椎木が「4ビートはこう、8ビートはこう叩くんだよ」って教えてましたね。
 

― ライブを観に行ったり、バンドを組んだり、音楽的に開けた地域だったんですね。楽器屋さんもありましたか?
 

バヤ:一応2店舗あって、1店舗は吹奏楽系の店舗で。でも男性の店員さんがバンド系が好きで、バンドコーナーというか軽音コーナーがあって。そんなに大きい店舗じゃなかったんですけど、半分くらいが(バンド)スコアとかも置いてあるコーナーになってて。だいぶ良くしてもらいましたね。ちゃんとバンドをやるようになって、いざツアーっていう時に機材をちゃんと買わなきゃなって思って、DIとか(アンプ)ヘッドとかもその楽器屋さんで取り寄せてもらって。めちゃんこ良い人で、ほんと金無いのを(店員さんが)分かってたんで、月一万を一年二年かけて返しましたね 笑。
 

― 口約束ローンですね 笑。昔の楽器屋さんはやってたんでしょうね。
 

バヤ:いいのか!?と思いましたもん 笑。だから(上には)内緒にしてくれてたんだろうなって。
 

― 今はもうできないですね 笑。初めて買ったベースはなんですか?
 

バヤ:バッカスの初心者セットですね、一~二万円の。一応全部(セットで)ついてくるじゃないですか。一生懸命練習して、それで初ライブもやって。でも(ライブを重ねていくと)無理だなってなって。ほんとはバイトしちゃいけなかったんですけど、バイトしてお金ためて、フェンジャパ(フェンダージャパン)の8万円くらいのだったかな。初心者セットもプレベだったんですけど、フェンジャパもプレベを買って。それをずっと使ってましたね。
 

― 高校の時のライブは、3人でやってたんですか?
 

バヤ:そうですね、地元のライブハウスでステージに立ってた時はもうMy Hair is Badとしてやってました。高二か高三だと思います。(違いは)名前の「i」が大文字だったくらいですね 笑。あとでちゃんと小文字になりました。
 

― こだわっちゃう年代ですね 笑。その頃に好きだったベーシストはいましたか?
 

バヤ:バンドで、3人とも好きなのはELLEGARDENですね。ELLEGARDENは中学の時から聴いてました。おれは中三からライブハウスに行ってたんですけど、やまじゅんはまだ行ってなかったんですが、姉ちゃんとかの影響で知ってて。高校生の人たちがライブでコピーしてたバンドがELLEGARDENで、おれは(まだ)分からないから、中学の昼休憩の時にやまじゅんに「こういう曲なんだけど分かる?」って答え合わせしてました。
 

― だからですかね。あの頃(2000年代半ば)ってプレベブームが結構あったんです。ELLEGARDENの高田雄一さんとか、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの山田貴洋さんとか、ひなっちさん(日向秀和 / ストレイテナー)も。
 

バヤ:おれ、色で選びました。ジャズベとプレベも(違いが)よく分からず 笑。たぶん高校に上がるギリ前くらいに(最初のベースを)買ったんですけど、たぶん青パンを聴いてきて中三くらいでX JAPANにハマって、そこから周りの友だちの影響でV系に行くんですよ。the GazettEとかシドとかを聴いてて、シドの明希さんに憧れて白黒のベースを買ったんです。で、高校に上がる頃には、中学から聴いてたELLEGARDEN、ストレイテナーを聴きはじめて、そこからおれはメロコアの方に行くんです。めちゃめちゃ聴いてたのはOVER ARM THROWとかですね。で、そういうのを聴きつつ、ライブハウスにはめちゃめちゃいたんで、インディーズのバンドばっかをめっちゃ聴くようになって。それこそ今の事務所THE NINTH APOLLOのバンドや、椎木から教えてもらって聴いたりして。初めて地元以外のライブハウスに観に行ったりもしてましたね。
 

― Blu-ray/DVD『My Hair is Bad ギャラクシーホームランツアー 2018.3.30,31』のツアードキュメントにも入っていた会場(上越EARTH)ですか?
 

バヤ:そうです、あそこが完全に地元のライブハウスです。そこのライブで高校生の時に一番震えたのはGARLICBOYSですね。(うちらと)対バンで。
 


 
― 対バンで!地元の若手バンドをぶつけてくれるっていう風習がちゃんとあるんですね。
 

バヤ:そうなんです、(一緒に)やってくれるんで。うちらも地元で月2本くらいやってたんで、地元バンド扱いしてもらってましたね。GARLICBOYSはマジで震えましたね。怖っ!って思いました 笑。学ランでそのまま行って。ちょっと急いで帰ってライブハウスに行ってリハ観て、「怖くね!?おれら、(あれ観て)何できんの?」って 笑。
 

― すごい 笑。漫画の世界みたいですね。高校の時には「バンド、一生懸命やろうぜ」っていうノリになってたんですか?
 

バヤ:おれと椎木はそうでしたね。椎木とやまじゅんの高校の一歳上の先輩は、卒業したら夜勤のある会社に就職して働きながらバンドを続けていて。「あ、こういう(バンド活動の)形もあるんだ」って。それだけできるんなら仕事しても大丈夫だろうなって思って、就職して(バンド活動を)やろうかなと思ってたんですけど。そこで落ちちゃったんで、そこでどうしようかなって。椎木が大学に行くって言ったんで、じゃあ同じとこ(大学)に入ったら、軽音部もあるだろうし、練習も作曲も捗るだろうしって思って、就職落ちてすぐ12月のAO入試を頑張って行って、そこそこに入学が決定して。

いざ入学式に行ってみたら、椎木は推薦をもらってると聞いてたんですけど名簿を見たら名前が無くて、どういうことだと聞いたら「入学金は払って入学しなかった」って。マジか!って 笑。「おい、お前!」って 笑。椎木はフリーターで上越に残ってバイトしながら(バンド活動を続けて)。だから、練習の為に、週2で上越に帰ってました 笑。片道1080円とかだったかな・・・。大学生で金無いって言ってるのに 笑。なので大学は一年だけ行って辞めました。

頭が良い学校ではなかったっていうのもあるし、友達も悪くはないけど話が合わないっていうのもありつつ。「たぶん、おれは就職しねぇ」と思ったんで、4年間で払う学費と1年間で払う学費を考えたらと思って。親に「ごめん、辞めます」って言って 笑。それで上越に戻りました。でもいまだに大学の友達とは仲良くて、新潟のフェスとかある時にたまに来てくれたり、LINEを知っているコは連絡をくれるし、リプライとかくれるんですよね。
 

― その頃、やまじゅんさんは何やってたんですか?
 

バヤ:就職受かって、地元で就職しながら。その間も3人でライブ自体は続けてたんで。
 

― ちなみに、その頃やってた曲って今でも残っていたりするんですか?
 

バヤ:一枚目(1st demo CD-R『My Hair is Bad』 / 2009年11月ライブ開場限定販売)の『月に群雲』はやってましたね。「始まりの曲」ということで武道館でもやりましたね。(ディスコグラフィを見ながら)あ、そうですね!(一枚目は)高二か高三の時に録ってるんで 笑。この『from now on』はこのCDにしか入ってない、椎木の弾き語りが日によって違う曲ですね。
 

― その頃には都内のライブハウスにも出演してたんですか?
 

バヤ:都内は呼ばれたこと一回あったかな。でも、『閃光ライオット』に出てたんですよ。
 

― 一枚目のアルバム『昨日になりたくて』がまだ5年前の2013年2月発売なので、結成から5年くらいはずっと地道に地元でライブ活動をしてたいたということですね。
 

バヤ:そうですね。『昨日になりたくて』が21か22歳の時だったと思うんで。
 

― オリジナルの音源を作るくらいになると、音作りとかフレーズとか、いろんな人や曲から影響を受けだすと思うんですけど、ベースヒーローっていう存在はいましたか?
 

バヤ:ベースヒーローか・・・。フレーズとかこの人カッコいいなって思うのは、ひなっちさんと藍坊主の藤森(真一)さん。2人のバンドはコピーしてたんで、何か活かせないかなって。音違うところでまんま同じ動きしてみるとかやってましたね。
 

― 他のメンバーは、全員近い趣味という感じではないんですよね?
 

バヤ:今でもそうですし、その時も被る部分はあっても好きなやつはバラバラだったりして。おれと椎木は結構インディーズ寄りで、やまじゅんはワンオク(ONE OK ROCK)とか最初の5人時代から聴いてたりするのかな。おれと椎木はメロコアとか行くんですけど、やまじゅんはFACTとか聴いてたりして。
 

― わりとパンキッシュなのとメタリックな方に分かれて行くんですね。いよいよ全国展開する時はCDをリリースをするタイミングですか?
 

バヤ:そうですね。『決めらんない』(2nd demo CD-R収録 / 2011年3月19日発売)の頃に、THE NINTH APOLLOの社長がもう目を掛けてくれてて。現場主義の社長だったんで。高二か高三の時に、初めてTHE NINTH APOLLOがリリースする若手バンドってことでSHANKがツアーを回ってて。おれらもSHANKを知ってたんで、地元のライブハウスの店長に「出たいです!」って直談判して。その前にも出会ってるとは思うんですけど、その時にちゃんと社長とお会いして。「ちゃんとしたレコーディングスタジオでやったこと無いだろ。レコーディングしてみない?」って、今も録ってるスタジオクーパー(※)っていうところで初めて『決めらんない』を録らせてもらって。2日間で3曲。

バヤ:もう年末で、スタジオの目の前が駐車場だったんですけど、打ち止めっていうのを田舎出身だから知らないじゃないですか。ずっと停めてたから年末で料金が跳ね上がっちゃって、車出す時に料金が12,300円とかで、社長めっちゃ笑ってましたね 笑。で、雪降ってきて、「上越でも見れるのに、大阪に来てまで雪かよ」って話してましたね。

(※)スタジオクーパー・・・大阪日本橋に居を構えるレコーディングスタジオ。様々なロックバンドのアルバムがこのスタジオで録音されている。
 

― もう機材車を持ってたんですか?
 

バヤ:椎木がバイト行く時に使う移動車兼機材車を。
 

― まだ全国ツアーに行くというほどライブはやってなかったんですか?
 

バヤ:そうですね。たまに呼ばれたり、先輩が行くところに着いて行ったりしてた程度で。基本的には新潟市が多かったかな、車で行くのは。上越から120kmあるんで1時間半か2時間くらいですかね。長野の方が80kmくらいなんで近かったですね。新潟市で出ていたハコは上越市出身の店長がいて、ノルマを半分くらいにしてくれたりとかあったんですけど、長野は結構シビアだったので。高校生の時に一回行ったんですけどめっちゃキツかった。
 

― なるほど 笑。まだフェンジャパのプレベを使っている時期ですか?
 

バヤ:『真赤』(2ndシングル『一目惚れ e.p.』収録 / 2015年7月8日発売)までプレベは使ってましたね。このMV撮影のちょっと前にモモセを買って、MV撮影でも使ってましたね。実は録ったのはプレベだよっていう 笑。

 

 

― バヤさんの影響もあって、若手のコがモモセを使うケースが増えてる気がするんです。どんっと使用機材が出てるわけではないんですけど、じわりじわり知られている感じで。
 

バヤ:おれ、ヘッド買ったのはひなっちの影響ですよ。ギャリエン(クルーガー)。ライブ映像を見たんだと思うんですけど、使いやすくて。あとミッドが付いてるのが良いなと思って。しかもいろいろ“かまえる”わりに安いじゃないですか。新品で買いました。
 

― そこから先は地道かつ・・・。
 

バヤ:でもライブ本数は他のバンドの二~三倍はやってるんで。この『「昨日になりたくて」リリースツアー』が人生初めてのツアーで、「やるぞ」って社長に言われて「はい!」って。おれらは56本ライブで・・・。
 

― 最初のツアーで? 笑
 

バヤ:最初のツアーで 笑。たしか同じ日か一ヵ月後に先輩たちもリリースで、33~34本一緒だったんです。そこでバンドがガラっと変わりましたね。それだけツアーをやると。3月2日初日の6月22日までだったかな。上越EARTHから始まって上越EARTHで終わるっていう。ブッキングも全て社長がやってくれて。
 

― FEELFLIP(グランディベース東京の常連様)も出てますね。
 

バヤ:そうなんですよ。初めて渋谷の乙-kinoto-に出た時もFEELFLIPのイベントだったんです。ほんといろいろあったんですよツアー中。金ねぇし。急な用事で実家帰って弾丸で戻ったり、大変でしたね。
 

― ツアーをやっているとそういうことが起きますよね。今、その頃のライブ動画を観ると、ここ一~二年で演奏能力は格段に上がっていると感じるんですけど、良い意味で変わらない部分もすごくあるんですよね。バンドって上手くなっていくと丁寧な方へ寄せていく傾向があるんですけど、きっちりしすぎちゃってそれを崩すことに苦労しているバンドも多いんです。My Hair is Badは、良い意味の“バンド感”があまり変わらないですよね。そのバランス感覚って練習でも意識しているのかなって思うんですが。
 

バヤ:最近になってようやくクリックを聴いて練習するようになって。ドラムとかは一~二年前からイヤモニ(イヤーモニター)になってて、おれは一年ちょい前なんですけど・・・。上越のスタジオだとイヤモニで練習ができなくて、各会場の環境が違いすぎるから、結局(各会場だけの)ライブになってしまうということで、イヤモニができるように調整して、全員イヤモニでやまじゅんだけクリックを聴いている状態で練習してますね。だいたい3時間くらい練習やってるんですけど、一回目はクリックを聴いて近々のライブのセットリストを流れというよりも一曲一曲なぞっていって。ちょっと休憩して、「今度はクリック無しでやってみよう」ってやってみて。CDというよりも「自分たちが気持ちいいところでやろう」っていうクリックですね、ライブバージョンというか。CDをなぞろうとすると、うちらだと“もっちゃり”しちゃうと思うんです。
 

― 歌もすごく意識しているんだと思うんでが、しっかり“ライブ感”が残っているので、そこってバンドはみんな苦労するところだと思うんです。
 

バヤ:他のバンドってスタッフさんたちから「もっとこうしろ」とか言われたりするんですかね?おれらライブに関しては全く言われないんですよ。
 

― そのあたりをセルフプロデュースできているということなんでしょうね。クリックを聴いて練習して、それを身体で覚えつつクリック無しで練習してというのはバランスが取れてるから良いんでしょうね。より広く聴かれるようになったっていうきっかけってどの曲になるんでしょうか?
 

バヤ:『真赤』じゃないですかね。Mステ(ミュージックステーション)で、back numberの(清水)依与吏さんが紹介してくれたらしいんですよ。「この歌詞が」って言ってくれたりして。でも、たしか『narimi』(1stフルアルバム / 2014年10月8日発売)っていうアルバムが出た頃に。このアルバムの時に初めてワンマンライブをやったんですよ、渋谷 TSUTAYA O-Crestで。Crestの最高記録だったらしいんです。300人くらいで 笑。で、これを出したあとくらいには(業界の)大人の人たちが来てて。仙台かの時にライブ終わって挨拶して名刺もらって。あまりちゃんと見ずにいてあとで名刺を見たら『ユニバーサル』って書いてあって、「えー!?」ってなって 笑。
 

― その時点でロックバンドとしてしっかり評価されていたので、インディーズで地道に続けていくっていう方法もあったと思うんです。でもあえてメジャーに行くという選択肢が「ちゃんと広げようと思っているバンド」だと感じたんです。分かる人にだけ分かればいいじゃなくて、ちゃんと広い世界に届けたいっていう意思があるなと思って。メジャーに行って、まだ知らない人にも届けたいっていう意識はこの時点であったんですか?
 

バヤ:曲を書いているわけではないので、おれは良い曲に良いベースをつけられればと思ってたから。どうやって広げよう、もちろん広がってほしいけど、それは社長たちが上手くやってくれるだろうから、特別こういうのどうですかとか言うことはなかったですね。社長もそんなに派手にしたくないと思っていた人だったんで、「ライブバンドだからライブハウスを大事にしてくれ」って感じなので。じんわりと、このくらいから小さいフェスは出はじめてるのかな?
 

― まだたった4年前ですね・・・。
 

バヤ:いまだにこのアルバムの曲はライブでも多いですね。
 

― 僕はこの『narimi』が世間的な1stアルバムというか、実質のスタート地点という捉え方をしてるんです。その前が初期で、これがスタートというか。
 

バヤ:この時から今の感じにも通ずる、王道の曲があって、飛ぶ曲があって、バラードが2枠くらいあって、ラップの曲があってっていう何でもやるバンドなんだなっていう「色」が見えるところだと思うんです、この曲たちで。
 


 
― 作曲は椎木さんが原型を持ってきてそれをみんなで合わせるんですか?それともジャムセッションしながら作っていく形ですか?
 

バヤ:椎木が持ってきます。エレキギターで弾いてくれて、「こういうのだよ」ってフレーズはおおまかにはできてて。教えてもらいながらルートをずっと押さえてこうやってって、バンドが形になる簡単なバージョンでやってみて。帰ってからちょっと肉付けして、みんなで持ち寄ってだんだん曲になっていく感じです。ボイスメモとかずっとやってましたね。
 

― このあとくらいから、メロディに対してのコードの当て方が複雑になってきたりしますよね。そこにベースフレーズを考えるというのは、=アレンジになるじゃないですか。この前のアルバムだと、『燃える偉人たち』(3rdアルバム『mothers』収録 / 2017年11月22日発売)は、フレージングがアレンジに入ってくるじゃないですか。そういうのが見え始めた、難易度が上がってきたのが2014年くらいなのかなと。
 

バヤ:おれの中では、『昨日になりたくて』がELLEGARDENのイメージ。分かりやすく、フレーズもシンプルで。椎木にも「サビはあまり動かないでほしい」って最初に言われたんで動かないでおこうと思って。次に出すCDが『だまれ』(1stシングル / 2014年2月5日発売)なんですけど、この時に4つ打ちが入ってきたりして、ベースも何かしなきゃなって。おれも1枚目(『昨日になりたくて』)と一緒は嫌だなと思って、ここで和音を使い始めるんです。3弦のAか、開放しながらオクターブ上とか使って。7、9、11って動くフレーズを使い始めて。
 


 

― 例えば、アレンジャーさんがちゃんといると感じるような、でも入り組んだ突っ込んだプレイも入っていて、そのバランスがとても良いなと感じるんです。それがまさに『だまれ』以降なのかなと・・・結構大変なんじゃないかなと思うんですが。
 

バヤ:大変ですね。最近コード進行が同じ曲だけどテンポだけ違うとか・・・サビはこれとこれとこれはよく聴いたらコード進行が一緒だっていうのもあるんで。「うわっ、マジ大変」とか思いながら 笑。
 

― 一般的な見え方だと、トリオのロックバンドで勢いのある曲をやってるっていうイメージがあるので、それこそ青春パンクの流れで、そんなに難しいことをやってないイメージがあると思うんです。でもコピーしている人たちからすると、結構複雑なことをやってると感じるんです。
 

バヤ:たぶんそうだと思います。おれとかは特に手ぐせだったりをちょくちょく入れてるので。
 

― 手ぐせ+αのとこで、自分の手ぐせだったらこっちに行きたくないんだけど、全体を考えて逆にしてみたりしてるんだろうなと感じるんです。そのバランスがとても秀逸で、そのあたりをどう構築しているのかなって伺いたくて。
 

バヤ:ほとんど自分で考えて、RECの時にいざメンバー2人が初めて聴くっていうフレーズもあるんですけど、長年デモ(CD-R)の時から一緒にやっているエンジニアさんが音も分かる人なので。その人がプロデューサーじゃないけど、おれ的にはルート動くパターン2つとか入れて3パターンくらい、一番良いと思ってるやつを弾いて録ってみて、「これと、ぼくはこっちなんですけど、どっちがいいすかね」って言いながら。それで音を外したり、半音上、半音下とかをそのエンジニアさんと確認したりしてますね。
 

― そのエンジニアさんが実質ディレクションも一緒にやってくれるんですね。
 

バヤ:そうですね。良い悪いを言ってくれて。
 

― 椎木さんがプロデューサー的な立場で意見を言うこととかは無いんですか?
 

バヤ:たまにあるんですけど、基本は無いですね。
 

― それでバランスが取れてるのは奇跡ですね。
 

バヤ:そうですね。『narimi』の時、ヤバかったんですよね。ライブはめちゃんこしてるし、5日間だったかな全部(12曲)録ったの・・・。一応、『だまれ』から3曲(『18歳よ』『友達になりたい』『彼氏として』)入ってて、昔作ったデモ(『決めらんない』)から『ふたり』が入ってるんで、実質(新曲は)9曲かな。「ヤバイぞ!」って言いながら 笑。
 
 
 
 
 

ほんとにコピーされたいです。いろんな曲を。



 


 

― その時点(結成6年目)で活動は長いじゃないですか。それまでのストックはあったんですか?
 

バヤ:だいたい、その曲数しか持って行かないですね。(持って行った曲を)ボツにしないで。
 

― なるほど。直接的な影響を受けた人っていうのはこの頃もいないんですね。
 

バヤ:そうですね。でも興味は高校生の時からあるじゃないですか。初めてのツアーで経験したのが、33本一緒の先輩バンドがいる状況だったので、「何か(技術を)盗んでやろう」って。バンドも良くなるだろうし、違うバンドの先輩にも「一回ツアーを回ったらバンドは変わるよ」って言われてたんで、何か変わりたいと思ってて。ステージングを頑張ったりして。あと、そのバンドが3ピースなんですけどツインボーカルでメロコアで、歌を歌いながらベースを弾くっていう。ベースも弾けるし、ギターも弾けるし、歌もめっちゃ良くて。「この人、スーパースターだな」と思いながら。その人が一番近い尊敬だったかなと思います。大阪のNOAっていう、今は全然違うバンドなんですけど。THE NINTH APOLLOの先輩たちがみんな上手かったり、現場で観たりする人が多いですね。テレビで「この人すごいな」って思っても、(現場で)観ないとっていう感じは今でも強いですね。
 

― 直接的ではなく、受けたエッセンスを上手く吸い上げてるから、露骨に「この人っぽい」っていうのは無いですもんね。
 

バヤ:でも、おれよりおれのことを好きな人なら分かると思うんです。おれが何が好きで何を聴いてるっていうくらいまで知っている人だったら、「このバンドのこの曲なのか」って。
 

― 3枚、3バンド、バンドプレイ的なフェイバリットを挙げるとしたら何になりますか?
 

バヤ:なんだろうなー。こういった話はしてこなかったですけど、中学の時にめちゃんこ買ってて今でも(CDの)所持数が多いのはFLOWですね。NARUTOのオープニングをやってた時にハマって、中高生ですけどファンクラブも入ってて。しかもベースのGOT’Sさんは新潟出身なんですよね。あとは、(藍坊主の)『フォレストーン』(4thアルバム / 2008年4月2日発売)はめっちゃ聴いてましたね。
 

― 藍坊主は僕も古くからのお付き合いなんですよ。
 

バヤ:大阪の見放題の時かな、サーキットフェスで(藍坊主を)観に行ってて。Twitterでアンケートやってお客さんが聴きたい曲を挙げてもらって、人気トップ5をそのままライブでやってました。逆に(そういうことが)できるってすごいですよね。うちらなんてツアーが終わって次のツアーになったら、前のアルバムの曲とかはもう全くこんなん(お手上げのポーズ)なりますけどね 笑。
 

― この『一目惚れ e.p.』の時期には、認知度的にも動員的にもブレイクしてきたのかと。レコーディングの音質もこの前からしっかり録られてるから、流通しだしてからはクオリティも地繋がりな気がしますね。
 

バヤ:そうですね。エンジニアさんも時間無いからギリギリまでやっているせいでミックスも大変なんですよね。ミックスまで5日間で(予定に)入ってるんですよ。最新版の『hadaka e.p.』(5thシングル / 2018年11月7日発売予定)はプリプロ(ダクション)までやって、本RECは東京のスタジオでやりました。しかもいろんな楽器を使ったんで音色的にもめちゃんこ良いです。
 

― もうすぐリリース(※)ですね。『woman’s』(2ndアルバム / 2016年10月19日発売)の頃からより仲良くさせていただいて。
取材は2018年10月に行われました。

 

バヤ:『woman’s』はめっちゃ苦しかったですね。ircleっていうバンドのベースの伊井宏介さんがめっちゃ好きで、仲良いんですけど。伊井さんに何回も電話して、3回くらい一緒にスタジオに入って、一緒に考えてくれました。マジで(フレーズが)出来なかったんです、この頃は。

 

 

― なので、シンプルな方へ逃げてもいないですし、すごく“音楽的”ですよね。
 

バヤ:この頃からベースで歌メロをなぞるとかもやり始めてるのかなって思います。
 

― 武道館のDVDを通して観て、考えてる弾いている部分と感覚の部分のバランスがとても良いなと改めて感じまして。頭でっかちでもないし雑さも無いですし、そういったところの影響がどこかからにあるのかなって思ってたんですけど。例えば藍坊主の藤森さんなら、作曲もする人なので歌を邪魔しないっていうことを徹底してるんですよね。ベースに関しては“支える”っていう感じで。
 

バヤ:そういう意味では、そういうところも入ってるのかなって。
 

― 『燃える偉人たち』なんかは一歩間違えると取って付けたような感じになってしまいそうなんですけど、ドラムフレーズに合わせるところなんかも含めて上手く収めているなって思って。
 

バヤ:その時、椎木が「なんでもいいよ」って投げっぱなしにするから、そうしたんだと思います。2Aでウォーキングやってるところで、ircleの伊井さんに「ウォーキングしたいんですけど、どうしたらいいですか」って聞きながら 笑。後半のリフみたいなベースの部分は、もともとはギターの予定だったんです。でも「ベースでやってみたらいいんじゃない」っていう話が出て。「いいすか、やって!」って言って 笑。レコーディングの時にベースに変えて。逆にドゥーンをギターがやるっていう。で、バンドINみたいな。
 

― かなり細部まで考えられてますよね。『mothers』でメロディも歌詞もアレンジもバンド力としてこのクオリティを出してきたっていうのは、ターニングポイントになったのかなって感じます。このタイミングで武道館をやっているっていうのも含めて。
 

バヤ:そうですね。この頃(SNSで)「マイヘア ベース」でエゴサして、「簡単」みたいに書かれてたんで、めっちゃウザいと思って、1~2曲目でめちゃんこベース弾いたんですよ 笑。
 

― 簡単ではないですよね 笑。イメージなんですよね。3ピースなので、パンキッシュ=簡単そうって先入観で捉えてしまう人もいるのかなって。今回、バランス感覚の話を何回もしていますが、ホールツアーをやったのもすごく良いなと思ったんです。
 

バヤ:ホールツアーは椎木が「やりたい」って言ってて。椎木もいろんな人に出会って、いろんな話を聞いてくるんですよ。やってみたいって言ったのは、ライブハウスじゃないところっていうのもそうだし、大きい会場、席ありのところってどうなんだろうっていうのが、終わったらバンドの為になるって思ってたんでしょうね。で、やりたいってなって。このタイミング(『ギャラクシーホームランツアー』 / 2017年12月2日~2018年4月4日開催)で武道館2デイズ(3月30日&3月31日)になるんですけど。すごくバンドにプラスになりましたね、ホールツアーは。
 

― ドキュメンタリーを見て、バンドの懐の深さが出ているなって思いました。このタイミングでホールでやるっていうのは、先を見据えてやるっていう意味でもとてもいいことだなと感じます。あと、後半にバラードをまとめてやるじゃないですか。バラードをちゃんと聞かせるっていうのもあるのかなと。
 

バヤ:演出でちゃんと歌詞が出るようにしたりして。
 

― アレンジも勢いでざっと行くんじゃなくて、バラードじゃない曲でも、例えば『熱狂を終え』(『mothers』収録曲)なんかはノリの良い曲に感じても、フレーズを追っていくと一筋縄ではいかないじゃないですか 笑。
 

バヤ:でも、頭の1~2曲は練って(フレーズを)作ったんで。おれ的にはセットリストにその曲達があると、「いいよ、やろうやろう!」ってなるんですよね。
 

 

― 昨年後半からの流れはすごく良いものだと感じます。そういえば、『mothers』が出た時の特設サイトのドキュメントムービーの中で、バヤくんが僕の名前を連呼してるんですよ 笑。
 

バヤ:ツーマン・ツアーの時のですよね 笑。
 

― (中村)和彦くん(9mm Parabellum Bullet)と一緒に、「立崎さんにお世話になってて」って連呼してて。僕、それ知らなかったんですけど、いろんな人に「マイヘアのに(名前)出てましたよね」って言われて 笑。
 

バヤ:むちゃくちゃ言ってたんです、あの日 笑。インタビュアーもわざと聞き返してて、「立崎さんです、立崎さんです」って。基本的にドキュメントにおれ使われないんで、ずっとふざけててこれだけは使ってくださいって 笑。
 

― 嬉しいです 笑。すいません、話がだいぶとっ散らかりました 笑。ベースのことやアレンジのことに関しては伺いたかったのでそこを聞けて良かったです。
 

バヤ:一枚一枚、次のCDになる度に、前のに入ってないことは継ぎ足そうかなっていうイメージというか、毎回やってるつもりではあるんです。
 

― それってメンバーみんなで話し合ったりするんですか?
 

バヤ:いや全然。この曲だからこれがハマるっていうよりも、この奏法やフレーズ入れたいなーって思って、例えばRECする4曲の中にどれが映えるかなーってやってみて、椎木にあまりにも突っ込まれなかったら「よし、このままRECしよう」みたいな 笑。
 

― 例えば、ずっと同じことを続ける美学もありますし、先に行くことで行き詰ってしまうこともあるじゃないですか。でもこの『mothers』を聴いて、まだ先があるんだなって感じたんです。先ほども出しましたが『熱狂を終え』は名曲ですよね。歌詞もすごく良いなと思ったんです。以前からの特徴である恋愛事情の描写って僕みたいに40歳近くになると“分かる”と言っても15年前くらいの“分かる”になっちゃうんですけど、いま20代半ばのバヤくんが15年後に『熱狂を終え』を聴いたら違う意味の“分かる”になると思います。40~50代の人に別の角度から響くと思います。
 

バヤ:へー!この中だと『僕の事情』っていうポエトリーリーディングみたいな音なしの曲が入って、8曲目(『噂』)まさかのツービートではじまるっていうのは、2枚目(B面)を聴いてるような感じになると思うんです。これ後半の方めっちゃ暗いし 笑。
 

― ライブっぽいですよね。この収録曲プラス1曲あったら、今のワンマンライブの流れになりますもんね。
 

バヤ:すごく良いアルバムになったなって思いますね。
 

― 武道館では今メインで使っている新しいベース(Moon JB-4A)は無かったですけど、その前くらいに、PAさんの紹介でアンプや新しい機材を買って行ったじゃないですか。バンド全体がグレードアップしていった時だと思うんですけど、その目的や意識ってどんな感じだったのかなと。
 

バヤ:すごい悪い聞こえになっちゃうんですけど、椎木も買うからおれも買ったんです 笑。椎木が買うって言うから、今までいっぱいいっぱいだった機材車が「入るわけねぇじゃん」とか思いながら 笑。でも買うって言ったんで、「じゃあ、おれも欲しいんですけど」って。
 

※バヤさんが購入された「Moon JB-4A」と同仕様のモデル。ショッピングページはこちら
 

― それまではキャビは無かったんですか?
 

バヤ:ヘッドだけです。ヘッドとエフェクターボードと、DIは・・・アヴァロンがあったけど1回目のツアー中に壊れて、たぶんツアーの半分くらいで潰れたんです。
 

― 信頼できるPAさんやテックさんがついて、スタッフさんたちの意見もあったんだと思うんですけど、一緒に共同作業でやってる部分もあって、そういう中で新しいことにグレードアップしていくのはすごく良いことだなと思うんです。グレードアップしたい時に勝手に買ってきてしまうと、「別にいいけど、でもそれで全然違うところが欲しいって言われると、相談してくれればいいのに」っていう話をテックのお客さんたちからよく聞きますね。
 

バヤ:おれ、初めてギャリエン買った時は、一回使ったことがあるからこそ、これにしようって思ったんですけど。初めて買ったヘッドは、いろんなヘッドを使ってみてそれが一番自分的に良かったんだなと。調べてみたら安かったし、一番いいかなと。
 

― 今年、ベースをMoonに換えたじゃないですか。ひなっち事件もありつつ 笑。
 

バヤ:笑。
 

― 「先輩を連れてくんで」って連絡をもらって、レーベルの先輩を連れてくるんだと思ってて。知らない人が来てくれるんだなーって思ってたら、朝ひなっちから「立崎くん、今日行きます」って連絡が来て。「珍しいな、もしかして・・・」って思ってたら、一緒に来て「うぃっす」って 笑。もう言ってよー!って。
 

バヤ:一応サプライズしようかなと思って 笑。
 


― 笑。でも、ひなっちさんがMy Hair is Badをすごくちゃんと聴いてるんだなって思って。対バンも多くないですよね?
 

バヤ:そんなに多くないですね。指折り数えられるくらいですね。
 

― でも椎木さんの音もすごく覚えてて、「ギターがこうで、ボーカルがこうだから、ベースはここ(の帯域)にいた方がいいと思う」ってすごく話してて。それで何本かベースを試したあとに、「もうちょっとこういうのかな」って、ふざけた感じで言うんですけど 笑、でもそれが適切で。流して聴いてたとしても、後輩だからとか関係なく、ちゃんと自分の中に残してるんだろうなって思ったんです。選んだベースも完全にバンドに合ってましたしね。
 

バヤ:そうですね。良かったなって思いますね。即決で買いましたね。
 

― リハで試します?って聞いたら「いや、買って行きます」って 笑。
 

バヤ:そういうの迷っちゃいけないなって思って。だったら買ってから後悔すればいいかなくらいの感じで。
 

― あの独特の緑もイメージに合ってますし、トレードマークになりそうな気がしますね。あれは、Moonの独特の色なんです。夏フェスの写真とかでよく出てますね。
 

バヤ:ちゃんとMoonっていうのが分かる写真を選びました 笑。
 

Live Photo by MASANORI FUJIKAWA
 

― Moonの担当さんも喜んでくれると思います。もともと楽器屋さんだった人で、うちら販売側の気持ちも分かるし、岡峰(光舟)さん(THE BACK HORN)や、ねごとの(藤咲)佑さんもケアしてて、アーティストの気持ちも分かる人なので。ぼくが(My Hair is Badの)資料を送ったら、「立崎さん、この方すごい人気なんじゃないですか・・・」って 笑。
 

バヤ:あははははは 笑。
 

― 今後、ベーシストとしてでも、ミュージシャン、アーティストとしてでも、目標的なものはありますか?
 

バヤ:常にそうですけど、演奏方法って新しいことっておれ的にはそんなに無いと思ってて、(そういったものは)出尽くしてるだろうけど、「自分っぽいね」って言われる部分がもっと色濃く出るようなプレイヤーにはなりたいですね。やっぱり「My Hair is Badって椎木知仁しか知らねぇ」とは言われたくないなって、ほんとに昔から思ってるし、いつかそれを覆したいとは思ってるんです。
 

― バンドって、“文化になるバンド”があると思っているんですけど・・・ELLEGARDENやHi-STANDARDってもはや“文化”じゃないですか。10年とか続けていくと、独立化した存在になりますし。そこをせめぎ合っているバンドもいると思っていて。My Hair is Badはそこに行けるんじゃないかと。流し聴きじゃなくてしっかり聴くと、歌詞が刺さるわけです。今は聴いてない40代の人たちにも刺さっていく可能性がすごくあるなって思うんです。
 

バヤ:あと、コピーされたいですね。ベースはそんなに難しくない、ややっこいけど弾けないわけではないんで。たまにYouTubeで上がってるコピーバンドとか見るんですけど、ほんとにコピーされたいです。いろんな曲を。
 

― まさに“文化”の部分ですよね。ややっこいんだけど弾けないわけではない、音を追うことはできるバンド。
 

バヤ:青春パンクだと(コピーバンド)いましたよね。ライブハウスでカッコいいって思ったらコピーバンドで、「何の曲やってるの?」って聞いたら、青パンだ、ゴイステだって。
 

― My Hair is Badもバンドスコアが出てるんで、売りにかかりましょう 笑!そうえいば、ライブで必ず「新潟県上越市」って言うじゃないですか。
 

バヤ:椎木が言いますね。
 

― あれは地元愛というか、地元に対する意識が強くあるんですか?
 

バヤ:やっぱり居心地いいですしね。椎木の話を聞くと、ライブハウスのポスターとかに貼ってある「バンド名○○○、(地域名)」っていう、ここのアイデンティティがあるかなって。大阪だったら大阪だけじゃなくて「大阪・堺」まで入ってたりとか、「新潟・上越」まで入ってると(詳細な)地方まで分かっていいのかなって。
 

― 昔は東京に出てくるっていうのが、道がそれしかないっていう感じで。新潟だったら、金貯めて東京に出てきて東京でバンドやってっていう方法論がそれしか無かったんですけど、地方に拠点を置きつつもちゃんと東京や地方でもやり、全国で勝負していくというのがとてもクールなこと、それこそ“文化”になってる気がして。お客さんを見ててもすごく感じますね。 例えば10-FEETは京都、ウチの常連さまだとHalo at 四畳半は千葉県佐倉市、昔で言えばナンバーガールかな。ライブを始める前に必ず「福岡市博多区から参りました、ナンバーガールです」って言って始めてて。
 

バヤ:そうなんですね、あるんですね昔からずっと。バンド文化ですよね。他のアーティストってライブ始める時に言わないですよね。MCになって出身どこどこなんだよって言うのはあるけど。
 

― 地元の人からすると、カッコいいし誇りにもなるんでしょうね。今更ながら 笑、ベースのことにあまり突っ込まなかったんで、奏法とか少し伺おうかなと思うんですが。ピックメインですよね。
 

バヤ:そうですね、単純にバラードとか遅めの曲で優しい音にしたい時に指(弾き)を使ってるだけですね。どっちがいいって言われたらもちろんピックの方が上手いんですけど。追いつかなかったりする曲はピックになったりするし。指で弾ければ指の方がいいのかなって思う瞬間もあるんですけど、ピックじゃないとできないステージング、ステージング大好き人間なんで。ほんと舞みたいな感じですけど。だからピックが多いですね。
 

― ではピック弾きはこだわってるんですね。ピックは作ったんでしたっけ?
 

バヤ:作りました。最初のツアーの時は、亀ちゃん(Jim Dunlop)の緑(0.88mm)を使ってたんですけどナメりすぎたんで、先輩が使ってた黄色(0.73mm)になって。今は、越智さんの紹介でMASTER8 JAPANの0.7だったかな。ちょっと柔らかめというか。一応気にしてRECとかで、ダウン、オルタネイトを変えたりするんですけど。行けるんだったら何テイクもダウンで録ったりします。ライブではカッコいいところや観てくれっていう瞬間でしか(ダウンでは)弾かないですけど、RECでは全部ダウンとかやってるけど、いけそうにないところは手を抜きますし 笑。
 

― やってみると結構難しくて、弦飛びフレーズもありますし。コピーバンドはやりがいがあると思います。頑張ればできるっていう。
 

バヤ:そうなんですよ!頑張ればできるんですよ。あんなの 笑。
 

― でも、そんなすぐ弾けるような感じでもなかったですよ 笑。
 

バヤ:だから、ちょっとベースをやってて、My Hair is Badのコピーをやってみようかなっていう人にはちょうどいいのと、ほんとにベースが好きになってきたら、「ここたぶんオイシイと思ってやってるな」って分かってくるようなフレーズを入れてるつもりではあるので。ベースでしか出せないドゥィーンっていうやつ(スライド奏法、グリッサンド奏法)をちょくちょく入れてるんですけど。あとCDは教科書というイメージですね。ライブはアレンジを重ねて慣らしていくっていうイメージでやっています。だから、「全然CDと違うよね」って言われても当たり前だし、ライブバージョンと思っていて、椎木の譜割りもそうですし。新譜も、新規開拓しつつ、昔からの人も逃さない為のっていう感じですね。
 

― 全然聴いたことのない人に聴いて欲しいですね。たぶんイメージ先行の誤解みたいなのもあると思うんで。
 

バヤ:しかも、この最新盤から椎木が軽いデモを作ってきて。ベースもおれのやつ借りて弾いて、ドラムも打ち込み入れたのを、みんなでコピーみたいに覚えてやって、そこから膨らませてレコーディング自体はいろんな機材を使ったんですけど、アンプヘッドも3つくらい使って、おれも竿(ベース)を5本弾いて。椎木はギター10本くらい弾いてましたけど。
 

― それはプリプロ兼レコーディングということですか?
 

バヤ:いやプリプロはもう終わってて、本RECをそういう風にして。1日2曲とか。めちゃんこ良い感じになりました、マジで。ヤバかったですね。7月の頭から東京に(一時的に)住んでたんですけど、週末だけRECが無くて。
 

― 予算を削らざるをえない現場が多い中で、今までの結果があるからそういうことができるようになったっていうことですね。
 

バヤ:めっちゃ余裕を持てて、「レコーディングってこうやるんだ」って思いました 笑。
 

― 逆にそこで行き詰ってしまうバンドもありますからね。My Hair is Badはその心配が無いのも良いですよね。メンバー間のピリピリ感とか、無いわけではないんでしょうけど。
 

バヤ:無くはないけど、結構仲良い方なんでおれらは。
 

― 人間的にも、周りのスタッフさんたちを見ても、切羽詰ってる感じが無く、伸び伸びと活動できている感じが出ているので、今後良い“文化”になっていけるんじゃないかって思うんです。
 

バヤ:そうですね。環境にはすごく恵まれてますね。
 

― 次に超える壁が楽しみですね。本日はありがとうございました!
 

バヤ:ありがとうございました!
 
 


 
My Hair is Bad(マイ・ヘア・イズ・バッド)


Guitar, Vocal : 椎木知仁(シイキトモミ)
Bass, Chorus : 山本大樹(バヤ)
Drums : 山田 淳(やまじゅん)

 
My Hair is Bad Official Site : http://www.myhairisbad.com/home/
My Hair is Bad Official Twitter : https://twitter.com/MyHairisBad
山本大樹 Official Twitter : https://twitter.com/bayabaya0821

 

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